2007年9月アーカイブ

TOEICねた

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 行政書士を取ったあと、中断していたBATICもやろうかな。

 あとは、英米法についてもうすこし調べて、海外契約にも強くなりたい。

 ここまでいけば、TOEICも教えられる。


 でも・・・このレベルのTOEIC講師って全くといっていいくらい存在しない。

 しかも大学受験レベルの文法すら教えられない。

 ためしに何校かTOEICスクールに入ったことがあるけど、

 文法の解説がめちゃくちゃ。嘘教えんなって。


 たとえば、<suggest that S 原型 > なんて公式で教えちゃうやつが多すぎる。

 教えたっていいけど、軽く質問(わざとジャブ)をいれても、that節内に直説法(仮定法現在がこない)

になる場合について全く説明できないやつがいる。


 ほかにも <want to do>は公式です。と言い張るヤツ。中学生じゃないんだから。

 My shoes want mending .「私の靴は修理する必要がある」 この表現はふつうだし。

高校文法でもならうぞ。意味と用法をセットにしなきゃ意味ないだろ。


 質問したら、「TOEICでは出ません」と逆切れした。あほか?おまえプロか?

 ほんとうは、こういう文法レベルのことはふつうにこなせて、

かつビジネスシーンでの英語の運用について説明できないとだめだよね。

契約とか経理とか。

 ああ、ちょっと毒吐いた。(笑)

 
 いつもひとりぼっちが好きなわたし

 企画の仕事になって、その性向がよけいに激しくなった

 いちいちひとにあわせるよりも

 自分の時間を大切に

 そしてよりよいものを創りだしたい

 そんな想いが強くなった
 
 
 動物園や

 美術館

 博物館を

 ひとりで歩いても ちっともさびしくない

 むしろひとりでいることが 楽しいとさえ思う

 

 わびしいなんて これっぽっちも思わなくて

 胸いっぱいに想像をふくらませて

 歩いた

 
 
 ハタチノコロは、社会から転げ落ちて

 ひとりぼっちになることが こわかった

 クリスマスのひとりぼっちも こわかった

 誰かひとりでも わたしをみていてと

 むせび泣いた日々

 
 
 でもいまは、ちっともこわくない

 ひとりぼっちは 天からの授かりものとさえ思う

 
 

 人通りの少ない路地を 落ち葉を踏みしめ

 夜空を見上げる

 白い息が かすかに立ちのぼり

 うっすらと消えていく

 わたしは、ゆっくりと ゆっくりと 歩き続ける

 

 以前、政策立案のワークショップを行った際に、「市民にも使えるわかりやすい政策評価の本はないですか」と訊かれたことがあります。そのときは、なかなかわかりやすくかつ実用的なものを思いつかなかったので、保留にしていました。いずれわたしが書きまとめようかとも思ってはいたのですが、それどころではなくて・・・。

 最近、『エクセルで政策評価―すごくよくわかる実践的統計分析マニュアル』(多賀出版、佐々木 亮 )が出版されました。 本書では統計学の知識を、市民<議員・NPO・市民組織<行政官<コンサルタント・業者<各専門領域の研究者<統計学者 の第1~6水準に分け、第4・5水準(市民~行政官)までへの対応を目指しています。

 「読みやすくする」「分かりやすくする」ことを前提としているため、本書は空白が多く、行間もかなり広くとっています。こういうデザインが好きな方もいるとは思いますが、本好きには向かないような・・・。組版を考えるのは難しいですね。いろいろな読み手がいますし・・・。

 いずれにしても、市民活動や政策立案・評価に携わる方々にとって、わかりやすい入門書・実用書であることはいうまでもありません。機会があれば、一度お手に取ってみてくださいね。

OCシーズン4を見終わりました。
はじめてOCを見たのは、4月の終わり頃・・・。思えば長い道のりでした。しみじみ。
マリッサ、ライアン、サマー、セスの4人がそれぞれの道へ・・・。
(ネタバレなので秘密ですが・・)

シーズン1は日本語字幕もあったのですが、シーズン2ではそれもなし。英語字幕まで
シーズン3からは英語字幕もなく、勢いで見続けました。

なので、話の流れ程度しか追えてないけど・・・。だいぶリスニング力がついたような。

しかし、英語の勉強法もかわったものですね。

ドラマみるようになってから、よけいにCNNやBBCが聞き取りやすくなりました。

健康診断

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10月から社会復帰するつもりなので、
健康診断書が必要となり、病院に行ってきました。

そしたらタンパクが・・・。ひっかかった。
あーあー。なんかやだなぁ。

かなり酒飲んだから、そのせいかもー。

2週間後くらいに他の病院で受けてみよう。

なんかへんなんだよ。この病院。

視力も左目だけ0.6とか。あの機械、ぜったいへん。

 私のお世話になっている服部みどり先生が、個展をすることになりました。

 お時間のある方はぜひ、お越しくださいね。(^^

 ご案内はこちらへ
 http://www.pochevert.co.jp/works_200710.html

●服部みどり先生のホームページ
 http://www.pochevert.co.jp/index.html

 昔の日記を読み返していたら、こんなのがあった。

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■98/02/05(木)

 家でのんびりと勉強を(少し)していると、局長から電話が・・・

 生徒が急な用事があるとかで電話してきたらしい。

「せんせーーーーーー、チョコパイ買ってきたのになんでこないんだよーーーー」

しかしおまえ、予備校なんだから、受験も間近なんだから・・・

まいっか・・・
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 チョコパイだけで自宅にかけてくんな。(笑)
 しかも局長まで使って・・・。

 でも、めちゃくちゃかわいい。

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「竜太、人間が人間として生きるというのは、実に大変なことだなあ」
 竜太は涙をこぼしながらも、先生の言葉にしっかりとうなずいた。
「竜太、人間はいつでも人間でなければならない。獣になったり、卑怯者になったりし
てはならない。わたしはこの度ほどそう思ったことはないよ。竜太、苦しくても人間と
して生きるんだぞ。人間としての良心を失わずに生きるんだぞ。竜太のこと、わたし
は忘れたことはない。いつも心配している。わたしは竜太を信じているし、竜太もまた、
わたしを信じていると思う。竜太がなにを言った、かにを言ったと、刑事たちは出たら
めをいう。おそらく竜太にも、同じ出たらめを言っているにちがいない」

                    ・・・・・・・・・

 「しかしな、竜太、どんな時にも絶望しちゃいけない。四方に逃げ道がなくても、天に
向かっての一方だけは、常にひらかれている。やがて検事が調べ出すと、われわれの
無実がわかる筈だ。裁判長は必ず公正な裁判をしてくれるに決まっている。わたした
ちの生まれた日本の国は、信頼できる筈なのだ。まさか無実の者を有罪とするわけは
ない。わたしは一度だって、政治的な意図を持って君たちを唆(そそのか)したことも
なければ、実践させたこともない。わたしが無実な以上、君が無実なのはむろんのこ
とだ。頑張ろうな、竜太。絶望してもいい。しかし、必ず光だけは見失うな」
 憑かれたように坂部先生は竜太に言った。それは正に、今言わねばならぬことを今
言っているのだという、坂部先生の覚悟のほどがうかがわれる語調だった。

                    ・・・・・・・・・・

 「先生、先生は逆さ吊りにされたのですね。それでも先生は、自分を投げ出すことを
しなかった。ぼくは恥ずかしい。ぼくは自分を投げ出していたんです。もう何もかも、い
やになっていたんです」
 「同じだよ、竜太。自分がこんなに弱い人間であったかと、何度自分に愛想が尽きた
ことか。しかしね竜太、自分にとって最も大事なこの自分を、自分が投げ出したら、いっ
たい誰が拾ってくれるんだ。自分を人間らしくあらしめるのは、この自分しかいないんだ
よ」
                    ・・・・・・・・・・
 
「先生、先生は強いですね。そんなに痩せるほど拷問を受けて・・・」

「いや、弱いから竜太にこんなことを言っているに過ぎない。人間は弱いものだよ。

弱くて卑怯なものだよ。しかし、その故に、人々が節を曲げることがあっても、

責めてはいかん。自分をも責め過ぎないことだ」

「銃口」
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 あの『塩狩峠』の三浦綾子の作品です。『銃口』はNHKのドラマになったものなので、
御存知の方も多いと思います。

 主人公北森竜太は北海道の炭坑町、空知郡幌志内 の小学校で教壇に立つ。しかし、
竜太とその恩師坂部久哉は治安維持法違反の容疑で旭川の警察署に勾留され拷問を
受ける。上の会話は、その坂部との10分間の面会 で交わされたもの。

 ドラマの設定になっている当時は、治安維持法下にあり、戦争を反対するような内容を
教室で教えることは許されませんでした。北海道の教員を中心に行われた「綴り方運動」
では、子供たちに自由に思ったことを作文に書かせていましたので、それが治安維持法に
引っかかり、多くの教員が逮捕されたのです。

 この抜粋だけでは、なかなかその雰囲気は伝えられませんが...。

恋の弱音

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 わたしは恋をできない病気にかかっている。

 むかしつきあった、あのひとは、過去にストーカーの被害にあったことがあり、

彼女はトラウマになっているという。つきあい始めも苦労したけれど、お別れするときにも

苦労した...。突然いなくなって、どうしたらいいんだろうと電話し続けると、新しい彼に

「ストーカーがいる」という。そのうち向こうの男から罵詈雑言のメールが届く。こちらは

何がなんだかわからない。

 ・・・こんな経験が10年以上前。わたしのほうが深い傷になった。


 その時期、ちょうど尊敬していた大学の先生が、学生へのセクハラが理由で他の大学に

飛ばされることになった。このことも、すごいショックだった。


 ひとをスキになるのが怖くなった。


 素敵なひとにであうと、もう二度と会わないようにしてしまう。

 まちを歩いていても、女性の後ろを追いかけてると思われないように、

 前を歩いている女性がいたら、すぐに進路を変えてしまう。

 道や通路で必ず会う道があれば、その道は二度と通らない。

 お気に入りのお店ができても、「いつもありがとうございます」と

店員に顔を覚えられたら、もう二度と通わない。

 どんなに上手にやってくれた美容師さんでも、自分からは指名しない。

せっかく頑張ってくれたのだから、指名してあげたいけど、やっぱり怖い。


 連絡先は自分から絶対にきかない。

 恋の始まりは自分ですべてもみ消していると思う。

 楽しいことももみ消していると思う。


 つらいときは、家の駐車場についても、クルマから出ることができない。

ハンドルに顔をうずめて、しばらくふさぎこんでしまう。


 携帯に入れた女性の連絡先は、すぐに消してしまう。

 飲み会にも参加しない。


 誰かを傷つけるくらないなら、自分が寂しいほうがましだ。


 これがわたしの恋の弱音

 三浦綾子の「氷点」を読みました。

「・・・あざやかな焔(ほのお)の色を見つめながら、陽子は、いまこそ人間の罪を真にゆるし得る神のあることを思った。神の子の聖なる生命でしか、罪はあがない得ないものであると、順子から聞いていたことが、いまは素直に信じられた。この非情な自分をゆるし、だまって受けいれてくれる方がいる。なぜ、そのことがいままで信じられなかったのか、陽子は不思議だった。

 焔の色が、次第にあせて行った。陽子は静かに頭を垂れた。どのように祈るべきか、言葉を知らなかった。陽子はただ、一切をゆるして欲しいと思いつづけていた。」

 陽子は、流氷が焔のように赤く染まる光景を目前にして、これまでの生涯を振り返りながら、人間を超えた大いなる者の意志を実感する。この聖なる存在こそが、全ての人間が生まれながらにもちうる罪を、許すことができると気づく。全編を通して貫かれる「人間の罪」とそれを唯一「ゆるす」ことのできる大いなるものの存在。

 「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである」、愛とは得るべきものではなく、与えるものである。たとえ手や足が失われようと、それが愛する者のためであるのなら、失われた手や足は彼の死後もなお、真の意味で生き続ける。愛とは、愛する者にその身を捧げることである、という。

 二人の男の間で揺れながらも、陽子は最後に結論を出す。


●氷点(上)
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4041437032/citizenship-22

●氷点(下)
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4041437040/citizenship-22

●続・氷点(上)
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4041437059/citizenship-22

●続・氷点(下)
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4041437067/citizenship-22


 みなさん、ようやく大学院を修了することができました。

 「9月21日に修了生発表」とのことで、22日のおでかけ(時事通信の筆記試験日)のあと、大学院の掲示板を覗きにいきました。ところが、どこにも9月修了生についての掲示がない。(;_;)

 慌てて、お袋に電話をして、家に通知が来ていないか調べてもらいました。「手紙はきてるけど、修了かどうかはわからないよ」ですって。しかたない、帰ってから調べよう・・・。

 家に帰って手紙をよく見ると、修了生の学籍番号が書かれた紙が・・。去年まで、これ掲示板にもあったような・・・。個人情報の関係で手紙のみになったのかなぁ。何はともあれ修了できました。

 口述試験で「書き方がアカデミックでない」と指摘され、落ち込み、しかも論文も誤植だらけ・・・。研究の道が閉ざされてしまうのかなぁと真っ暗な気持ちでいました。でも、そこまで心配する必要なかったみたい。

 なんとか修了の通知もいただけて、ほっとしています。

 お世話になったみなさま、はげましを与えてくださったみなさま、ほんとうにありがとうございます。心よりお礼申し上げます。


●修論の目次と口述試験のようすは過去の日記にあります。
 http://masalog.citizenship.jp/2007/07/post_147.html

 ありのままのあなたでいて

 雨の日も 風の日も

 どんなに厳しい風がふいても

 どんなに心が揺らいでも

 たくさん迷って

 たくさん悩んだら

 また

 ありのままのあなたでいて

 泣き顔も 笑顔も 怒った顔も

 ありのままのあなただから

 ただいままでどおり あなたでいればいいのだから


まったくやる気のないフロント

小さい頃からずっとファンだったけど

もう終わりだ。

選手たちを嫌いになったわけじゃないけど

これ以上応援したら

もっと球団がだめになる

古田敦也

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 古田敦也の引退

 古田敦也はわたしにとって、大きな大きな存在だった。

 常識を覆す バックハンドでのキャッチング

 ステップをいかしたスローイング

 セオリーと大胆さを備えたリード

 あの西武戦を境に 彼のリードは変わった

 日本一の捕手になった

 思い切りのよい ヤマをはったバッティング

 胸元のストレートだけを待ち

 何度も起死回生の一打を放った

 あのときの古田敦也を忘れない

 わたしはがんばりやさんの手がすきだ。

 ときには、ぎこちなく力がはいって、どこか手が赤くなったり、

 たくさんのあかぎれ

 ペンだこ

 しわがいっぱい

 ちいさなてのひらに

 ゆめやきぼうがつまっている

 たいせつなものをにぎりしめるための手

 それががんばりやさんの手

 編集時代は押し殺していた子供たちとの想い出が少しずつ浮かんでくる。

「せんせい、やさしさがにじみでてるよ」と、学級委員的な男の子に言われたことがあった。

べつにわたしは優しくも厳しくもない人間だけれど、

教室や、そのまわりが、愛で包まれるようにしたいと心がけていた。

そのような場をつくりさえすれば、きっと彼らが自分らしさをだして、

生き生きとしてくれるのではないかと信じていたのだ。

「じゃあ、愛ってなんなんだ?」といわれるとほんとうに困るけれど、

それでもわたしは、愛で包みたいと思った。

心がけだけで、それでいいんだと。


 愛で包まれる日々

 それが教室

メモ

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どんなに自分がいびつで、欠けるものばかりだとしても、

誰かに嫌われたり、笑われたりしても、

人と会うのが辛くなって、うまく笑えないかも知れないと思ったとしても、

やっぱり明日はやってくる。 やっぱり朝はやってくる。

いっぱい泣いて、いっぱい落ち込んで

朝になったら顔を洗って、けろっとした顔で出かけるんだ。

ときにはうまく口をきけなくたっていい

ときには元気がなくたっていい

がんばれなんて、無責任にはいえないけれど

心の底から応援している。

絶対に負けるな

絶対に折れるな

 私の一番好きな映画は、「リバー・ランズ・スルー・イット」。みんな知ってる映画だと思っていたら、案外そうでもないみたい・・。イギリスの語学学校で好きな映画について話し合う時間があったのですが、リバー・ランズ・スルー・イットを知っている人はほとんどいなかった・・・。みんなタイタニックとか、そんな感じ。

 ことあるごとにこの映画を思い出しては、書き記していたものでした。

 フィッシャーマンの人生。川と流れと、自然と対話しながら。己が自身とも語り合う。

 時間の悠久の流れにそって、ゆっくりと。その流れはときには分かれ、ときには一つになって。
ゆるやかなときもあれば、激しく打ち、深く川底へと沈むときもある。

以下、昔の日記から。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 誰かが悩んでいるときに、何もできない自分がいた。どうにかしてあげたい。
どうしたらいいんだろう。何か心を揺り動かす言葉をあげられない。力を授けてあげら
れない。それがきっかけで、人を勇気づけたり、悲しみから立ち直る手助けをできる人間
になりたくて、教育の道を選んだ。でも、やっぱり力不足だ。こんなとき、Norman Macleanの
「A RIVER RUNS THROUGH IT」の一節を思い出す。
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「ねえ、どうしてなんでしょう、援助が必要と思われる人って、援助しないで、放って
おいたほうがうまくやってゆく---少なくとも、前よりは悪くはならない、っていうこと?
実際はそうなってるわよね、悪くはならないで。その反対に、なにからなにまで援助
してもらっていながら、前とまったく変わらないって人もいるわよね」

                    ・
                    ・
                    ・

 「そうなんです。でも、完全に理解できない人間だって、完全に愛することはできる
んじゃないんですか」と、答えた。「そう、それはわしにも分かっているし、そういった
ことを説教してきたつもりだ」と、おやじが言った。
 一度だけおやじは新しい質問をわたしに向けた。「あいつを助けることがこのわし
にできたと思うかね?」この質問に対して考える時間が仮りにあったとしても、わた
しに答えられる答えは、まったく同じだったろう。わたしは、それに対する答えとして、
「あいつを助けることがおれにできたと、父さんは思いますか?」と、言った。わたし
たちはお互いに敬意を表し、お互い立ったまま黙っていた。生涯かけても解答の得
られない質問にどうすれば解答が見出せるというのか。
                     ・
                     ・
                     ・
 それを聞いてから、おやじは「それでも、お前、嘘偽りのないという話をしたあとで、
もう一つの話と、その話に合った人間を考えて作ったほうがいいんじゃないかな。そう
してこそ、なにがどうして起こったのか、ということが分かってくる。一緒に暮らし、愛し
ており、本当に知る必要がある人間というものについては、どうしても本当のところが
つかみきれないものだからね」というのだった。
 いまや、若かったころにわたしが愛し、理解しようとしてできなかった人びとは、ほと
んどすべて、幽明境を異にしている。しかし、いまなお、わたしはそうした人びとのこと
を思い浮かべ、理解しようとしている。
 もちろん、いまの私はすっかり年齢をとって、フィッシャーマンとしては、見る影もなく
なってしまった。友人のなかにはフィッシングはもう止めるよう忠告する者もいる。しかし、
それでも、もちろん、わたしはフィッシングを続けている。たいていは一人で、あの雄大
な渓流に出かけることにしている。夏のあいだ昼間の長さがほとんど北極圏と同じであ
るモンタナ州西部のフライ・フィッシャーマンの例にもれず、たいていの場合、日暮れが
迫り、あたりが涼しくなってから、フィッシングを開始するようにしている。・・・
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 ここだけ書くとよく分からないと思うので、あとがきからも少しばかり抜粋する。

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 それに対して、弟のポールは、たぶん兄以上の才能に恵まれていながら、生まれ持っ
た頑なな性格と、文化的に僻地というべき環境ゆえに、その才能を十分発揮する場を見
出せず、自分自身をもてあまし、早くから賭けごとに熱中し、酒におぼれ、女性関係もだ
らしなく、最後は身を滅す。そうした弟を見て、兄は援助の手をさしのべようとするが、相
手の屈折した気持ちが痛いほど分かるだけに、手の出しようがない。弟も、兄からの援
助を望みながらも、意地とプライドがあり、兄からの援助だけはどうしても受けたくないと
いう気持ちがある。その結果、おそらく、借金をめぐるトラブルから悲惨な最期を遂げ、
残された兄は、そのことにこだわりながら残りの人生を生きることになる。
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 補足しておくと、映画では「本当に助けを必要としている人に限って、助けを自分から拒絶して
しまう」のような感じだった。いずれにしても、見ている側には痛いほど分かる苦しみに、手を出す
こともできず、じっと見守ることしかできない。もしくは、助けを拒絶してしまう。助けを拒絶してしま
う人が一番助けを必要としているのに...。そういう人が一番苦しくて悲しくて辛いというのに...。

 今まで幾度となく、他の誰かのために胸を痛めてきた。いまもなお、それは繰り返す。答えの
無い苦しみと、答えを知っていても黙って見守るしかない苦しみ。どうしたらあなたを幸せに出来る
のか、苦しみを癒せるのか。教育者になれば、その答えが少しは見つかると思ったのに、それど
ころか、その深みにますます陥っている。福山雅治の曲にある、「どうしていつも答えはあとに
なって分かるばかりなのか」 彼とは同世代なので同感できるところが多い。しかし、Macleanは、
あとになっても分からないことばかりなのだともいう。私がMaclean のように老いたときには、
同じことを考えているのだろうか。いまの悩んでいることも、未解決のまま浮かんでくるのだろうか。

昔の日記

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 今日、予備校講師時代の日記を見返していました。日記って面白いですね。どう面白いかというと・・・。

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□ March 18th, 1999 (THU)

 今日は吉祥寺の日。家でぼうっとしていると、電話がなる。
「先生、今すぐ来い」国公立クラスの3人娘たちだ。
私はデニーズでいちごパフェを頬張っている3人の女の子に囲まれ
小さくなっていた。受験中は逃げ回っていたくせに・・・。
財布カラッポだよう。
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 ・・・ね、面白いでしょ?(笑)

 この子たちは、大学合格が決まって「先生におごってもらう」ことを楽しみにしていたやつら...。基本的には連絡先は教えないんだけど、事務の職員さんを使って、私あてに無理矢理電話をかけさせてくる。3月は基本的に授業がないので家でぼうっとしてることが多いのですが、電話に出るといきなり「せんせい、いますぐこーい」ですよ。面白いし、かわいいよね。
 あげくのはてにおごらされて。(^ ^ ;


 読書メモもいろいろ。

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□ March 25th, 1999 (THU)

『高校教師』に出てくる登場人物は、みんなひとりぼっちなんだよね。
真田広之さんの先生も、女子高生の繭も、赤井秀和さんの先生も、繭の親友になるナオも。
みんな孤独な少年なんだ。
たとえば僕はこんなシーンが好きだ。繭は先生に公衆電話から電話をかけていて、カード
がなくなる。財布の中を探すと、10円玉が出てくる。
その10円玉は、繭が先生のためにお昼のパンを買ってあげた時に、先生からもらって
御守り代わりに持っていた10円玉なんだ。
「10円入れたよ」
「じゃあ、3分話せるね。何の話が聞きたい?」
「皇帝ペンギンの話が聞きたい」
先生は、専門が生物だから、先生自身にとって、皇帝ペンギンの話はいちばん好きな
話なんだね。
 ついそういう話に夢中になって、普通の女の子を退屈させてしまうんだけど、好きな
女の子に「おもしろいよね」って、いちばん話したい話なんだね。
僕はこのシーン好きだな。

『少年みたいな君が好き』中谷彰宏 PHP文庫 より

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 冬の星空のもと、公衆電話の前で、白い息を吐き吐き、好きな女の子に電話した思い出がよみがえってくる。数少ない毎晩の日課、ただ声を聴ければいい。そう思ってお互いに同じ言葉、やり取りを繰り返す。

 いまは携帯があるし、メールもあるし。また違うんだよね。


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□ March 23th, 1999 (TUE)

『今、女画  いま、なんじは画(かぎ)れり』  雍也篇
★おまえは、自分からダメだと思いこんでいるのだ。

 孔子が弟子の冉有(ぜんゆう)を勇気づけた言葉。冉有は、どちらかと
いうと消極的な性格であり、孔子からいつもそのことを指摘されていた。
ある日、彼は遠慮しながら師に言った。
「先生の説かれるところが分からないというのではありませんが、
どうも力不足で・・・」
 すると孔子は言った。
「力不足なら行けるところまで行ってから挫折するだろう。おまえのは
そうではなく、力はある。それなのにおまえは、自分からダメだと思い
こんでいるのだ」

 人は自信をもつと、もっている力以上の力をも発揮する。逆に、
自信を失うと、出来ることまで出来なくなってしまう。まして、
自分で自分の限界を設定してしまったら、そこから出ることが出来
ないのである。「画(かぎ)る」とは限界を設定することだ。

論語より

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 どうせやるなら本物をめざせ。

 会社をやめたのだって、本物をめざしたかったからだろう。

 いまは、何をやったって食べていける。

 どうせやるなら本物をめざせ。

 筆を折り、

 羽を破り、

 髪を掻きむしりながらでも、

 この世に本物を生み出すのだ。

 どうせやるなら本物をめざせ。

教育2冊

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今日は大学近くの本屋で2冊の本を買いました。


 1冊めは、『比較教育学―越境のレッスン』(馬越 徹、 東信堂)

 本書は、大きく2部に分かれていて、第1部では比較教育学方法論、第2部は比較教育学研究となっています。前者では、現在扱われている問題群、これまでの研究動向、各機関・学会の位置づけ、ジャーナルについて、「地域研究」など。後者では、アジア(とくに韓国)における高等教育、歴史教育、留学生教育、エスニシティ・・など具体的な研究実践についてページを割いています。


 2冊めは、『世界のシティズンシップ教育―グローバル時代の国民/市民形成』(嶺井 明子編、東信堂)
 シティズンシップ教育は、ひらたくいえば日本の公民のことなんですが、グローバル化の流れのなかで、「市民とは何か」があらためて問われてきています。そんなことから日本の「公民」ももう一度意味を問い直している、というところでしょうか。本書では、本当に世界中の多くの国のカリキュラムについて紹介しています。担当執筆者によって、その深さは異なり、やや表面的な制度紹介に終わっているものもあれば、個別の事例を紹介しているものもあります。
 私は日本・イギリス・アメリカくらいしかきちんと調べていなかったので、おおまかに各国の制度をつかむのに役立ちました。イギリスについては物足りないかも・・。

 出版社を辞めてしばらくは、本屋に入るたびに涙がポロっとでてきて。「もう、本作れないのかな・・・」としんみりした。本屋の軒先で本を手に取る人を眺めて、ちょっぴり編集者であることを誇らしく思ったこともあったっけ。絵本を手にとって笑顔があふれている女性をみて、とても満たされる思いがした。両手で絵本や教科書を抱えているちびっこたち・・・。

 そういえば、教壇を降りたときもそうでした。次の仕事では教育現場を訪ねることもしばしばだったので、子供をみるたびに涙がいっぱいこみあげてきたものでした。教室に響く子供たちの甲高い声。教え始めた頃は、耳が痛くて仕方がなかったのに。次第に慣れて心地よい音に。わたしの心をやすらぎに導いてくれる音になりました。

 ・・今日はなんだか突然、こどもたちのことを思い出して、涙がいっぱいになりました。みんなの声が耳や胸や体のなかをこだまして、ひびきわたりました。あんな顔やこんな顔、怒ったり笑ったり、いろんな表情や姿がよぎりました。わたしにいっぱい愛情を注いでくれて、わたしを育ててくれた子供たち。

 わたしもがんばるから、みんなもがんばろうね。

 ・・・こんどのしごとがどんなしごとでも、胸に思いや願いがいっぱいになるようにがんばりたい。


 あ!そうそう。灰谷健次郎の『わたしの出会った子どもたち』(角川書店)を思い出しました。とてもいいので読んでみてくださいね。彼の教師時代に出会った子供たちを綴ったものです。「どんな時も、子どもたちが自分を支え、育んでくれた―。」これは彼の言葉ですが、わたしも同じ。まっすぐにぶつかってきて、けんかしたり泣いたり笑ったり。そんななかで自分の足りないものを補ってくれた。

 「教師はバカだ」とか「教師は世間知らずだ」と後ろ指をさすひとは多い。でも、こんなに人を愛し続けられるしごとが他にあるだろうか。

 最近、いろいろ調べてみて、法科大学院でもお金がかからないところがいくつかあることが分かりました。山梨学院大と神奈川大学では、特待生には学費分の給費があるそうです。

 司法試験を通るまで、かなりの時間がかかりますが、いま迷っています。私の親戚や知り合いでも受験に苦労しているのをみているので、これまでもなかなか踏み込めずにいました。

 結婚ももっと遠ざかるだろうな・・。(笑)いまのところまだ「花の独身」でも笑って済ませているけれど、あと数年で・・。

 あ、そうそう、もうひとつ方法があった。筑波大学の法科大学院は夜間コースもあるみたい。こちらはもっと難関かも・・・。やっぱり無理かなぁ。卒業しても試験に受からないとだし・・。

 とりあえず仕事が決まってから考えよう・・・。行政書士にも受かってから・・・。

 閣僚の政治資金問題の数々を経て、阿倍首相の辞任という驚きの結末。これらはやはり派閥政治の最後のあがきともいえるでしょう。

 橋本行革による官邸機能の強化の力を存分に使ったのが小泉元首相。国民の高い支持を背景にして、弱体化した派閥を牛耳っていました。ときどきガス抜きに森首相が怒って見せたりもしていましたが、あれは完全にパフォーマンス。

 これまで、自民党各部会からあがってきた法案をボトムアップに調整してきたものを、派閥の了解を得ずに官邸から一気に降ろす流れに変更したわけですから、各派閥の不満はかなりのもの。

 安倍さんが政権を引き継いで、その支持率がよくないとなれば、不満分子もここぞとばかりに抵抗。野党も抵抗。官邸主導によるトップダウンのやり方のマイナス面が目立ってきました。やっぱり選挙の力、国民の力は強し、ですね。

 このままだと予算(衆院の優越があるが関連法案が通らない)も法案も通らないし・・。小渕さんみたいに野党案丸飲み作戦に回るのがいいんじゃないのかとも思いますが、いまはマニフェストもありますものね・・。(でもどのみち選挙に勝てなかった首相なのだからマニフェスト云々じゃないでしょう・・)

 自民党は次の参議院選・その次の参議院選(衆議院でなく)までは、ガマンの日々が続きそうですねえ。それまで持ちこたえられるかどうか。(衆議院選でもういちど圧倒勝ちできれば野党も静まる可能性もあるけれど、参議院での抵抗はさけられないし・・)こういうときはどんな守り方があるんだろう。自民党の味方というわけではないけれど・・。

 「民主的である」というのは、とても難しい。NPOの運営でも、仕事でも、家庭でもいろいろな場でそういうできごとに遭遇します。正直、私が設立に関わったNPOでもそうでした。主権争い。内部の抵抗。仕事を辞める理由も結局は政治的な要素が多い・・。自分の発言力が高まるにともなって、敵が増えてくる。そこでどうやって切り抜けるか。最初の仕事の頃は若すぎて、なんで辞めることになったのか、自分でも整理しきれなかった。いまになってようやく分かってきたかな・・・。

<参考>
■ 『官邸崩壊 安倍政権迷走の一年』(上杉隆、新潮社)

国家賠償法

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 今日は国家賠償法の授業でした。が・・、よくわからなかった。説明を聞いて問題を解いてもまったく出来なかった。
 自分が悪いのもあるんだけど、なんとなく、先生も投げやりな感じ。いつもはレジュメとテキストを丹念に読むのですが、レジュメだけでさらっと。「はい、問題をやってみましょう」といって問題に向かうのですが、レジュメだけでは解けない感じだったし・・。頭にあまり残らない日でした・・・。

大杉勝男

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2007 9 3 2036

 先日、我が家のベランダに訪問者が・・・。かぶとむしです。こんなに田舎なの!?(^ ^; 

 そういえば、マンションの住民組合でかぶとむしの幼虫を裏の森で飼っているということだったんですが、それが成虫になったのかなぁ。 どちらにしても田舎なんですけどね・・・。

 ちょっと茶色がかっててかわいかったので、写真を載せてみました。(^ ^

 2007 819 1842

 私の家からクルマで10分ほどいくと、相模川に出ます。その傍にある桂川亭は、大正3年から続く割烹やさんです。 その桂川亭で鮎のフルコースを食べることができるというので、 先日行ってきました。


 




 お店の外観は、こんな感じです。お宿も一緒にやっています。



2007 819 1906(1)
 前菜と鮎の開き

 

2007 819 1931(1)

 塩焼き



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 鮎の姿造り

 

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 唐揚げ



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 じゅんさい

 

2007 819 1952

 あゆごはん


 

 これだけ食べて(写真に撮ってないものもあります)、ぜんぶで5250円です。飲みに行ったと思えば、そんなに高くないですよね。 むかしは時の総理大臣なんかも食べにきたんですって。みなさんもいかがでしょう。


■桂川亭
 http://www5b.biglobe.ne.jp/~ayuya/


 5月から法政大学のエクステンションカレッジで行政書士講座を受講しています。大学院のゼミが行政学だったのに、行政法が全くの素人だったのです。一応、一冊は入門書を読んではいたんだけど・・・。用語は理解していたので、話にはついていけるんだけど、議論するほど運用力がないという・・・。

 ということで、「ああ、これは資格を取るくらいちゃんと勉強しないと身に付かないな」と思っていました。法政の院生ならなんと6万(だったかな)で受講できるというので、飛びつきましたよ。ふつうなら15万くらいするよね。TACだし。

 ちゃんと休んだときには、インターネットで補講を受けられるんですよ。すごいよねえ。

 それにしても、行政法って面白いですよね。住民運動にも役立つし、政策研究にも役立つし。学習指導要領告示の法的位置づけ、検定や修正の位置づけなんかもわかるようになる・・・。

 なべつぐ先生のことを書いているうちに、自分が数学科出身であることをふと思いだしました..。いまや見る影もなく文系暮らしをしていますが...。

 ときどき、数学の本についても書き込みますね。

 まずはやっぱりポリアでしょう。ポリアの「いかにして問題をとくか」(丸善)。数学教育で問題解決の研究したひとなら誰でも知っている一冊です。はじめてみるような問題を解くことを「ヒューリスティック」(=発見学)というのですが、ヒューリスティックな立場でどうやって問題を解くかを論じています。本書は、やさしく誰でも読めるつくりになっています。

 これをもっと専門的にしたのが、「数学の問題の発見的解き方」(みずうみ書房)です。本書では、問題を解く際のより普遍的な考え方について論じています。もう絶版ですね。

 大学で研究した「問題解決ストラテジー」が、そのまま仕事でも役立ちました。縁に恵まれて生きてるなと、つくづく思います。


参考:「発見的方法に基づく問題解決方略の指導に関する一考察」
 http://masalog.citizenship.jp/mathstrategy.pdf

 突然、渡辺次男先生のことを思いだして、検索してみた。

 もう、先生の参考書や著書は絶版なんですね....。2ch情報では、2004年時点では、まだ生きていらしたとか。いまもご存命なのでしょうか...。もう一度お会いしたかったな...。

 浪人してすぐ、先生の参考書「あすなろ数学」に出会って、そのあと先生が渋谷ゼミナールにいらっしゃると聞き、所属の予備校を前期で辞めて、後期から予備校を変えてしまったくらいのファンでした。

 なんとか先生に近づけるようにと、一週間に一回質問に行くことを自らに課していました。毎週そのために、たくさん問題を解く...。当然解けないんだけど..。軌跡の問題で質問に行ったとき、「接点をx,yと置く方法と、中点をx,yと置く方法があるんだけどどちらがしりたいかい?」と聞かれ、正直そこまで頭が回らないわたしは、「うーん」と唸っていました。そうしたら、「しっかりしてくれよぉ」と背中をはたかれた。(笑)

 つらいつらい浪人生活のなかで、先生の授業、楽しかったし、励みになったな...。先生の参考書には、いろいろな雑談があって、数学者の話、哲学者や文学の話などは、その後のわたしの読書遍歴に影響を与えました。

 わたしもあんな素敵な先生になりたかったけど、むりだったな...。でも、まだまだ人生は長いし...。ゆっくりとゆっくりと歩んでいければと思います。

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