昔の日記2 リバー・ランズ・スルー・イット

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 私の一番好きな映画は、「リバー・ランズ・スルー・イット」。みんな知ってる映画だと思っていたら、案外そうでもないみたい・・。イギリスの語学学校で好きな映画について話し合う時間があったのですが、リバー・ランズ・スルー・イットを知っている人はほとんどいなかった・・・。みんなタイタニックとか、そんな感じ。

 ことあるごとにこの映画を思い出しては、書き記していたものでした。

 フィッシャーマンの人生。川と流れと、自然と対話しながら。己が自身とも語り合う。

 時間の悠久の流れにそって、ゆっくりと。その流れはときには分かれ、ときには一つになって。
ゆるやかなときもあれば、激しく打ち、深く川底へと沈むときもある。

以下、昔の日記から。
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 誰かが悩んでいるときに、何もできない自分がいた。どうにかしてあげたい。
どうしたらいいんだろう。何か心を揺り動かす言葉をあげられない。力を授けてあげら
れない。それがきっかけで、人を勇気づけたり、悲しみから立ち直る手助けをできる人間
になりたくて、教育の道を選んだ。でも、やっぱり力不足だ。こんなとき、Norman Macleanの
「A RIVER RUNS THROUGH IT」の一節を思い出す。
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「ねえ、どうしてなんでしょう、援助が必要と思われる人って、援助しないで、放って
おいたほうがうまくやってゆく---少なくとも、前よりは悪くはならない、っていうこと?
実際はそうなってるわよね、悪くはならないで。その反対に、なにからなにまで援助
してもらっていながら、前とまったく変わらないって人もいるわよね」

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 「そうなんです。でも、完全に理解できない人間だって、完全に愛することはできる
んじゃないんですか」と、答えた。「そう、それはわしにも分かっているし、そういった
ことを説教してきたつもりだ」と、おやじが言った。
 一度だけおやじは新しい質問をわたしに向けた。「あいつを助けることがこのわし
にできたと思うかね?」この質問に対して考える時間が仮りにあったとしても、わた
しに答えられる答えは、まったく同じだったろう。わたしは、それに対する答えとして、
「あいつを助けることがおれにできたと、父さんは思いますか?」と、言った。わたし
たちはお互いに敬意を表し、お互い立ったまま黙っていた。生涯かけても解答の得
られない質問にどうすれば解答が見出せるというのか。
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 それを聞いてから、おやじは「それでも、お前、嘘偽りのないという話をしたあとで、
もう一つの話と、その話に合った人間を考えて作ったほうがいいんじゃないかな。そう
してこそ、なにがどうして起こったのか、ということが分かってくる。一緒に暮らし、愛し
ており、本当に知る必要がある人間というものについては、どうしても本当のところが
つかみきれないものだからね」というのだった。
 いまや、若かったころにわたしが愛し、理解しようとしてできなかった人びとは、ほと
んどすべて、幽明境を異にしている。しかし、いまなお、わたしはそうした人びとのこと
を思い浮かべ、理解しようとしている。
 もちろん、いまの私はすっかり年齢をとって、フィッシャーマンとしては、見る影もなく
なってしまった。友人のなかにはフィッシングはもう止めるよう忠告する者もいる。しかし、
それでも、もちろん、わたしはフィッシングを続けている。たいていは一人で、あの雄大
な渓流に出かけることにしている。夏のあいだ昼間の長さがほとんど北極圏と同じであ
るモンタナ州西部のフライ・フィッシャーマンの例にもれず、たいていの場合、日暮れが
迫り、あたりが涼しくなってから、フィッシングを開始するようにしている。・・・
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 ここだけ書くとよく分からないと思うので、あとがきからも少しばかり抜粋する。

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 それに対して、弟のポールは、たぶん兄以上の才能に恵まれていながら、生まれ持っ
た頑なな性格と、文化的に僻地というべき環境ゆえに、その才能を十分発揮する場を見
出せず、自分自身をもてあまし、早くから賭けごとに熱中し、酒におぼれ、女性関係もだ
らしなく、最後は身を滅す。そうした弟を見て、兄は援助の手をさしのべようとするが、相
手の屈折した気持ちが痛いほど分かるだけに、手の出しようがない。弟も、兄からの援
助を望みながらも、意地とプライドがあり、兄からの援助だけはどうしても受けたくないと
いう気持ちがある。その結果、おそらく、借金をめぐるトラブルから悲惨な最期を遂げ、
残された兄は、そのことにこだわりながら残りの人生を生きることになる。
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 補足しておくと、映画では「本当に助けを必要としている人に限って、助けを自分から拒絶して
しまう」のような感じだった。いずれにしても、見ている側には痛いほど分かる苦しみに、手を出す
こともできず、じっと見守ることしかできない。もしくは、助けを拒絶してしまう。助けを拒絶してしま
う人が一番助けを必要としているのに...。そういう人が一番苦しくて悲しくて辛いというのに...。

 今まで幾度となく、他の誰かのために胸を痛めてきた。いまもなお、それは繰り返す。答えの
無い苦しみと、答えを知っていても黙って見守るしかない苦しみ。どうしたらあなたを幸せに出来る
のか、苦しみを癒せるのか。教育者になれば、その答えが少しは見つかると思ったのに、それど
ころか、その深みにますます陥っている。福山雅治の曲にある、「どうしていつも答えはあとに
なって分かるばかりなのか」 彼とは同世代なので同感できるところが多い。しかし、Macleanは、
あとになっても分からないことばかりなのだともいう。私がMaclean のように老いたときには、
同じことを考えているのだろうか。いまの悩んでいることも、未解決のまま浮かんでくるのだろうか。

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このブログ記事について

このページは、Masahiro Ohkuboが2007年9月15日 19:28に書いたブログ記事です。

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