ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則

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 『ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則』(ジェームズ・C. コリンズ 著、山岡 洋一 訳、 日経BP社 刊) をよみました。

 あまり時間がなかったので、とばしながらでしたが、とてもおもしろかったです。

 途中によくでてきていたのが、「第五水準の経営者」ということば。

 「個人としての謙虚と職業人としての意思の強さという矛盾した性格の組み合わせによって、偉大さを持続できる企業を作り上げる」

 ちなみに「第四水準の経営者」とは、「明確で説得力のあるビジョンへの支持と、ビジョンの実現に向けた努力を生み出し、これまでより高い水準の業績を達成するよう組織に刺激を与える」

 第三水準にくるのは、「有能な管理者」
「人と資源を組織化し、決められた目標を効率的に効果的に追究する」

 以下、第二水準「組織に寄与する個人」、第一水準「有能な個人」・・と続きます。

 また、いちばん好きなのは、「針鼠(はりねずみ)」の寓話をもちいたくだり。

「アイザイア・バーリンは、有名な随筆『針鼠と狐』で、世間には針鼠型の人と、狐型の人がいると指摘した。これは古代ギリシャの寓話、「狐はたくさんのことを知っているが、針鼠はたったひとつ、肝心要(かんじんかなめ)の点を知っている」に基づいたものだ。

 ・・・狐型の人たちはいくつもの目標を同時に追究し、複雑な世界を複雑なものとして理解する。「力を分散させ、いくつもの動きを起こしており」、全体的な概念や統一のとれたビジョンに考えをまとめていこうとはしない。
 これに対して針鼠型の人たちは、複雑な世界をひとつの系統だった考え、基本原理、基本概念によって単純化し、これですべてをまとめ、すべての行動を決定している。世界がどれほど複雑であっても、針鼠型の人たちはあらゆる課題や難題を単純な、そう、単純すぎるほど単純な針鼠の概念によってとらえる。針鼠型の人たちにとって、針鼠の概念に関係しない点は注目に値しない。」

 もうすこしよみ進めると、この寓話を過去の偉人にまであてはめています。

「・・・フロイトは無意識の世界に、ダーウィンは自然選択に、マルクスは階級闘争に、アインシュタインは相対性原理に、アダム・スミスは分業に、それぞれ関心を集中させている。いずれも針鼠なのだ。複雑な世界について考え抜き、単純化してとらえている。「偉大な足跡を残した人たちはかならず、『すばらしい見方だが、単純化しすぎだ』という批判を受けている」

・・・この真偽はさておき、「単純化しすぎた」といわれても、複雑な事象をひとつやふたつの「原理原則」に昇華させていく姿勢は見習うべきところがあると思います。

 それは、経営についても同じ。儲かる会社なのか、「偉大なる」会社なのかは、原理原則(プリンシプル)にあると思います。

 偉大なるひとも、かならずプリンシプルがある。

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このページは、Masahiro Ohkuboが2009年5月12日 00:02に書いたブログ記事です。

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