伊藤真先生の本を読んで、以下のようなことが書かれていました。
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第1段階 ゲームをクリアするような面白さ
自分が立てた目標をクリアし、点数があがることに爽快な快感を覚える。
第2段階 世俗的な成果に結びつく面白さ
いい点数をとってほめられる、いい学校に入れる、資格試験に通る、など。
第3段階 自分が成長したという満足感
自分の内なる満足感
第4段階 勉強しているプロセスを楽しむ満足感
学んでる最中に感じる至福感、時間を忘れて没頭する感覚、ランナーズハイ
第5段階 追い求めていたもの以上の発見、次元の違う地平に到達した高揚感・至福感
第3段落までは、結果があっての満足
第4段階までは 自分が立てた目標を追っていた。自分が設定したものだから、自分の大きさ以上のものは生まれない。
しかし、第5段階になると、自分の枠を超えた自分の大きさ以上の目標を達成できる。「予想外」の成果だから、自分の経験や意識を超えている。自分の殻を破り、一皮むけた次のステージに到達できる。想像超えた喜び。ここまでつきぬけてこそ勉強の真の面白さを経験したといえる。
『夢をかなえる勉強法』(伊藤 真 著、サンマーク出版) pp.172-176
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なにも「おべんきょう」限ったことではなくて、人間が経験し、超えるべきものすべてにあてはまると思います。スポーツでも、山登りでも、なんでも。おけいこごともそう。しごとでも。
経済学や経営学では、個人を利己的な存在としてモデルを立てているけれど、法律の世界では、権利主体としてモデルが立てられている。教育学も法学に近いんだけど・・。
それぞれの学問分野によって、丘の上(のほう)に上って社会を眺めたときには、それぞれ見え方もちがう。数学も。物理学も。 ・・・学問だけでなく、カメラやったときもそう、野球もそう、剣道もそう。ダイビングもそうかも。(これはみている世界そのものがちがいますものね)
立花隆さんも似たようなことを仰ってたかも。
編集者はとくにそういう経験をたくさんできる。新しい学問にふれるためには、大学のシラバスをゲットして、基礎理論、最新の理論、基本書、論文、学術誌など、マップ全体をとらえる工夫をする。学問の基礎をつくったのは誰か、最新の理論では誰が引っ張っているか。これまでその学問が成した業績はなにか、これから先、何を知ろうとしているのか。これがわかることによって、社会にどんな便益をもたらすのか。
なにも編集者に限ったことではないですよね。
見えない地平を見るために、私たちは歩み、学び、語り合う。何かを見い出したければ、まずは前に進むこと。
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