使うと危険なコトバたち

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 業界では当たり前の言葉でも、その他の場所では使ってはいけない言葉があると、最近とみに思うようになりました。たとえば、「負け犬」「金の成る木」という言葉は、経営学を勉強するとPPM(プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント)という理論の中で出てきます。でも、それを知らないひとにとってはあまり良い言葉ではなさそうです。

ほかにも、「Win-Win」「リーダー」「リーダーシップ」「フォロワー」などもそう。


 「リーダー」「リーダーシップ」という言葉を、うまく用いないと危ないなと思います。まず、自分のほうが主導権を取りたい、うまくやりたい、というニュアンスを与えてしまいます。「リーダー勉強会」のような単語を用いて人を招くのも、参加者を気持ちよくさせるため。その他のひとにとって気持ちいいわけでもないですよね・・・。「リーダー論」の本をお読みになっている方もよくいらっしゃいますが、人前で読まない方がよさそうです。
 それに対して、「ファシリテーター」という言葉があります。「これからのリーダーはファシリテーター型でなければならない」なんていう言葉もよく聞きますが、「リーダー」でありたいという心と「ファシリテーター」の理念は相容れないものだと思います。このところを心しておかないと、うまくいかないかも。

 このような状況になった背景には、日本が高度知識社会になったことがあるのでしょうか。経済的に豊かなこともあります。物質的に豊かになり、情報が豊富になったことで、誰もが、知識を得ることができます。
 こうなってしまうと誰が「先生」なのかわからない。お互いの目線が同じところにあるのですよね。それぞれに得意分野・不得意分野があるにせよ・・・。

 「win-win」も、パートナーシップ論では当たり前のように用いられますが、交渉の際に相手に投げかける言葉ではないと思います。お腹のなかにあるのはいいですが・・・。ホリエモンのフジテレビ株買収の際にも、よく耳にした言葉ですよね。

 「リーダー不在の現代日本」とよく嘆かれますが、そのくらい、国民全体の知識水準(や学歴)が上がっているのだと思います。リーダーがだらしないのではなくて、フォロワーの力がつきすぎて、相対的にみて差がなくなっている。リーダーもフォロワーの区別がつけられない。ですから、昔の町会議員などは、「地元の名士」と決まっていたものですが、いまやそうじゃない。誰がリーダーシップをとるかの水面下の争いが、ずいぶんとあります。

 このような社会を、「秩序がない」と嘆くのは誤りなのだと思います。(他の要素での嘆きはあるのでしょうが・・・)

 ・・・何を書いているのかわかりませんね・・・。どうも最近、「リーダー」という言葉に違和感をもつようになったもので・・・。ご覧のみなさまのご意見もいただければ幸いです・・。

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このブログ記事について

このページは、Masahiro Ohkuboが2006年2月28日 19:33に書いたブログ記事です。

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