エッセイ

 純粋数学などの数学の研究者からみた数学教育と 「教科教育学」としての数学教育は、ちがうものだ。

 ときには、「数学ができない者が数学教育学に進む」とすらいわれる。

 そういった側面は否定できない・・・。大学4年になるに際して、数学教育のゼミを選ぶか、それとも、微分幾何学のゼミ、もしくは統計学のゼミを選ぶか、とても迷った。ゼミの選択なんて、選択科目を選ぶようなもの、とわたしは軽く受けとめていた。

 「ゼミの選択は、その後の一生を左右する。」
 
 そのときは考えもしなかったが、いまはたしかにそういえる。

 宇宙論のはやりの影響で、わたしは微分幾何学をやってみたいと思っていた。ただ、働きながら大学に籍を置くこと・・・、働きながら学ぶことの苦しさ、とくに数学のようにじっくり考える時間を多く要する研究ではなおさら苦しいと感じていた。
 
 そして、予備校では英語を教えていて、じぶんなりの英語指導の体系もできあがってきていたのもあり、これ以上、「数学を専門とする人」というレッテルを貼られるのもうっとおしかった。

 純粋数学や応用数学のゼミに入るよりも、教科教育のゼミで国際比較などをやれば、英語も使うし、認知心理学のような(日本でいう)文系分野も織り交ぜることができるかも・・・なんて気持ちになっていた。

 そのときに、背中を押したのは、「問題解決」論との出会いだった。

 予備校生時代に強く影響を受けた方に、秋山仁先生がいる。知る人ぞ知る・・というところの数学者、予備校講師。先生の授業は、数学を微分、積分、行列、二次関数、などと内容ごとに「縦割り」に教えるのではなく、それらを組み合わせてどのように問題を解くか、ということに重点を置いていた。たとえば、2つの変数があれば1つを固定する考えを使う、対称性に着目する・・・などの考え方によって、問題を解くアプローチについて教えていた。このような教え方を先生は、「横割り教授法」と読んでいた。

 「複数の変数があれば1つを固定する」といった、数学の問題解決全体に普遍する考え方を、「問題解決ストラテジー(問題解決方略)」というのを知ったのは、大学のゼミを選ぶ頃だった。

 数学教育や認知科学の世界では、「問題解決」という研究分野があり、そのなかで、「はじめてみるような、一見解くのが不可能と思える問題に対してどのように解けばよいかを考えるためのアプローチ群」を、ストラテジー(方略)というのだという。
 
 「秋山先生の授業は、これだったのか・・・」
 
 問題解決ストラテジーについて、もっとよく調べてみたい。数学教育のゼミを選ぶに際して、最後に背中を押したのが、これだった。

ある日のこと

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 少子化の激震で、各予備校が経営方針の転換をはかる頃、わたしも講師として生きる道に陰りがみえていた。それなりに予備校に貢献(?)してきたわけで、むこうもむげに首切りは行ってはこなかった。

 「経営側にまわってほしい」、つまりフリーランスの講師の立場から、社員として内部に入ってほしいとの打診だった。いくつかの予備校でも、おなじような感じだった。

 もうこれまでと同じ空間-大教室のなかで多くの生徒の心がつながる-にはいられないかもしれない・・・。予備校は、もう、予備校じゃないんだ。わたしのキャリアの終わりを告げる瞬間だった。
 
 「わるい話じゃないのはわかる、しかし・・・」
  
 
 その頃、ふと目にした求人が、検定教科書の出版社だった。
 
 大学時代、教育実習の指導教官を引き受けてくださった恩師の言葉をそのとき思い出す。

 「教科書を甘く見ないで、よく研究してみなさい」

 よく、「教科書を教えるのではなく、教科書で教える」といわれ、教師自身の教材研修と指導力の研鑽の必要性が叫ばれていた。あの頃のわたしは、教科書という「権威」に斜に構える部分もあり、教科書から飛び出したような教育実習を繰り返していた。学芸大の付属校の教員である恩師は、教科書の執筆委員でもある実力者であった。その恩師が、教科書から飛び出そうとするわたしを戒め、先にあげた「教科書の研究」をわたしに勧めたのだ。(「教科書を教える、教科書で教える」の議論は、教科の「主たる教材」たる教科書こそ、教科の内容を伝えるための媒体であるとの解釈もあり、その後、わたしの見方はかわってきているが・・・。)
 
 また、予備校で教えるようになり、教科書に対する見方も変わってきた。とくに、教科書や学校の授業をないがしろにしてきた生徒は、予備校の授業(入試問題へのアプローチを解説するような典型的な予備校型の授業)を受けてもなかなか伸びない。いくらやっても逆効果なのではないかと思うようになった。

 「教科書を甘く見たらいけない。ほかのどんな教材よりも練り混まれている・・・。」

 こんないきさつから、「教科書とは何か」-これが、当時わたしに向けられた課題であった。

 
 「教科書を仕事として研究してみるのも悪くないかもしれないな」

 こんな気持ちで、さきの教科書会社の求人に応募することになった。
 
 
                       ・・・・
 
 
 わたしの大学時代の卒論テーマは、「発見的方法に基づく問題解決方略の指導の方法に関する一考察」である。ひらたくいえば、「問題を解く」という行為には、2種類あり、既存の知識をそのまま当てはめれば解ける場合、既存の知識では解けない場合があり、前者はアルゴリズムやスキーマによる問題解決という。後者は、発見的な立場(ヒューリスティック)による問題解決といい、その解決のための方法としてストラテジー(方略)を用いることになる。

 また、「問題」や「問題解決」とは、先にいう、はじめてみるような、一見して解くのが困難と思われるような問題群と、その問題群の解決を指す。 単にみなれた計算を解くような場合には、「問題解決」とはいわないのだ。

 わたしの所属するゼミは、数学教育のゼミであり、この問題解決は、数学的問題解決(=mathematical problem solving)を指すものである。これは1980年代のアメリカにおける認知科学の問題解決論の、数学教育への転移ともいえるものであった。
 
                       ・・・・
 
 「問題解決を体現できるような教科書づくりができるかもしれない・・・。」

 そんな思いが、わたしの背中を押した。
 
 
 そして、わたしにとって不思議なできごと。
 
 この教科書会社は、問題解決を重視する出版社であり、ここの算数・数学教科書は、他社と比べても最も問題解決に力を入れた教科書であった。
 
 そしてなにより、あの恩師は、この教科書の著者であったことだ。ほんとうに偶然だった・・・。
 
(つづく)

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