ある日のこと
少子化の激震で、各予備校が経営方針の転換をはかる頃、わたしも講師として生きる道に陰りがみえていた。それなりに予備校に貢献(?)してきたわけで、むこうもむげに首切りは行ってはこなかった。
「経営側にまわってほしい」、つまりフリーランスの講師の立場から、社員として内部に入ってほしいとの打診だった。いくつかの予備校でも、おなじような感じだった。
もうこれまでと同じ空間-大教室のなかで多くの生徒の心がつながる-にはいられないかもしれない・・・。予備校は、もう、予備校じゃないんだ。わたしのキャリアの終わりを告げる瞬間だった。
「わるい話じゃないのはわかる、しかし・・・」
その頃、ふと目にした求人が、検定教科書の出版社だった。
大学時代、教育実習の指導教官を引き受けてくださった恩師の言葉をそのとき思い出す。
「教科書を甘く見ないで、よく研究してみなさい」
よく、「教科書を教えるのではなく、教科書で教える」といわれ、教師自身の教材研修と指導力の研鑽の必要性が叫ばれていた。あの頃のわたしは、教科書という「権威」に斜に構える部分もあり、教科書から飛び出したような教育実習を繰り返していた。学芸大の付属校の教員である恩師は、教科書の執筆委員でもある実力者であった。その恩師が、教科書から飛び出そうとするわたしを戒め、先にあげた「教科書の研究」をわたしに勧めたのだ。(「教科書を教える、教科書で教える」の議論は、教科の「主たる教材」たる教科書こそ、教科の内容を伝えるための媒体であるとの解釈もあり、その後、わたしの見方はかわってきているが・・・。)
また、予備校で教えるようになり、教科書に対する見方も変わってきた。とくに、教科書や学校の授業をないがしろにしてきた生徒は、予備校の授業(入試問題へのアプローチを解説するような典型的な予備校型の授業)を受けてもなかなか伸びない。いくらやっても逆効果なのではないかと思うようになった。
「教科書を甘く見たらいけない。ほかのどんな教材よりも練り混まれている・・・。」
こんないきさつから、「教科書とは何か」-これが、当時わたしに向けられた課題であった。
「教科書を仕事として研究してみるのも悪くないかもしれないな」
こんな気持ちで、さきの教科書会社の求人に応募することになった。
・・・・
わたしの大学時代の卒論テーマは、「発見的方法に基づく問題解決方略の指導の方法に関する一考察」である。ひらたくいえば、「問題を解く」という行為には、2種類あり、既存の知識をそのまま当てはめれば解ける場合、既存の知識では解けない場合があり、前者はアルゴリズムやスキーマによる問題解決という。後者は、発見的な立場(ヒューリスティック)による問題解決といい、その解決のための方法としてストラテジー(方略)を用いることになる。
また、「問題」や「問題解決」とは、先にいう、はじめてみるような、一見して解くのが困難と思われるような問題群と、その問題群の解決を指す。 単にみなれた計算を解くような場合には、「問題解決」とはいわないのだ。
わたしの所属するゼミは、数学教育のゼミであり、この問題解決は、数学的問題解決(=mathematical problem solving)を指すものである。これは1980年代のアメリカにおける認知科学の問題解決論の、数学教育への転移ともいえるものであった。
・・・・
「問題解決を体現できるような教科書づくりができるかもしれない・・・。」
そんな思いが、わたしの背中を押した。
そして、わたしにとって不思議なできごと。
この教科書会社は、問題解決を重視する出版社であり、ここの算数・数学教科書は、他社と比べても最も問題解決に力を入れた教科書であった。
そしてなにより、あの恩師は、この教科書の著者であったことだ。ほんとうに偶然だった・・・。
(つづく)